東京地方裁判所 昭和39年(ワ)12664号 判決 1966年11月22日
原告 米内真理子
被告 国
代理人 河津圭一 外二名
主文
被告は原告に対し、金二〇〇万円およびこれに対する昭和三七年九月二〇から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを三分し、その二を被告の、その一を原告の負担とする。
本判決中原告勝訴の部分に限り原告において金二〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
ただし被告が金四〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。
事 実<省略>
理由
一、(治療行為の経過及び原告の失明)
当事者間に争のない事実および(証拠省略)の結果によれば、本件における治療行為の経過および原告の失明の事実は、次のとおりであつたことが認められる。
原告は昭和三五年二月八日東京大学医学部附属病院分院耳鼻科において、同病院所属医員堀口信夫医師の診察を受け、慢性副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)の診断を受け、以後同医師を受持医として、昭和三七年九月末頃に至るまで、同分院において治療を受けた。
治療当初において行われたレントゲン検査により、原告の篩骨洞および上顎洞(副鼻腔の一部)に、比較的軽度の陰影が認められ、原告の病状は副鼻腔炎としては中等度と認められたので、保存的療法として薬物による治療が続けられたが、自覚症状は快方に向わなかつた。そこで、以後の治療方針が再検討された結果、保存的治療を継続するかたわら、鼻内手術(顔面を切開せずに、口腔内または鼻腔内から病変部に至る手術。)を行うことと決し、下記のとおりの日時、方式によりいずれも堀口医師の執刀により、施行せられた。
(一) 昭和三六年三月二九日、経上顎洞篩骨洞開放術なる術式による左右両側慢性副鼻腔炎根治手術。この術式の大略は、歯齦部を切開して、上顎洞を開き、その洞内にある病的粘膜を除去したうえ、鼻の側壁を除いて、洞内から固有鼻腔内に膿が流出する孔を作り、さらに上顎洞を経由してその上部にある篩骨洞内の蜂(蜂の巣状の組織)の病変部分を掻はして除去するものである。
(二) 更に右(一)の手術後昭和三六年四月一七日に行われた左右両側粘膜下下甲介切除手術及び同年一二月二一日に行われた両下甲介切除手術にもかかわらず、鼻閉塞、鼻漏等の主訴がとれなかつたため、これを完治するため、昭和三七年三月二日右側、同月一四日左側の順序で、(一)と同一の術式により再手術が施行せられ、前回手術後に、上顎洞内および篩骨洞内に成長した瘢痕組織を取りさつて、前回手術と大略同じ部位にある病的粘膜等を除去した。
(三) 以上の手術及びその終了後にも継続された保存的療法等にもかかわらず、中鼻甲介の浮腫性膿膜が消失せず、これが篩骨洞内の病変の残存を推測せしめたので、前記(一)および(二)の上顎洞を経る手術の術式上、病変組織の除去が困難であつた篩骨洞内の比較的前部に未だ病変部分が残存しているものと判断され、これを除去する方法として鼻内手術としては唯一の方法である鼻内篩骨洞漏放術の施行が決せられ、まず昭和三七年九月一九日、右側の手術が施行せられた。この術式の大略は、下甲介と中甲介の間にある中鼻道の部分に切開を入れてこの部分の粘膜を切りとり、篩骨洞の前壁を露出させ、この前壁を鋭匙鉗子および鋭匙を用いて破り篩骨洞内に手術野を作つてこれを視界内におき、洞内にある蜂の病変部分を掻はしてこれを除去するものである。
ところが、右(三)の手術(以下本件手術という。)前、原告の視力は正常であつたのに、本件手術の終了後二日目に、原告から、手術を施行した側である右眼が見えない旨訴えられ、(実は視力は手術を終了したその日から零となつていた)以後昭和三八年一月一四日に至るまで同分院の眼科医により治療行為(薬物投与による保存的療法)が続けられたが、視力は回復せず、その後昭和三八年三月に視束管開放手術が施行せられたけれども、これによつても原告の右眼視力は回復しなかつた。
二、(本件手術と視力喪失の因果関係)
(証拠省略)によれば、
(一) 本件手術は、眼窩に接しこれと極めて薄い紙状板(その実質は骨である。)を隔てて存在する篩骨洞内の蜂を、鋭匙(手術器具の一種)をもつて掻はしたものであつて、この蜂組織(薄い骨及び粘膜より成る。)は紙状板と結合しており、鋭匙を使用してこれの掻はを行う場合には、多少なりとも紙状板を損傷することが、約一〇回に一回の割合で起りうるものであるが、単に紙状板を損傷するのみでは、失明の結果を来すものではなく、これを超えて何んらかの理由により、眼窩内にある視束(視神経の別称)に障害を惹起することによつて、失明の結果を生ずるものであること。
(二) 原告の右眼は、手術前正常の視力を有していたが、本件手術後流涙激しく、手術の翌日耳鼻科医長戸塚医師の回診の時眼瞼の顕著な腫脹及び皮下出血を発見して、視力の障害を危惧したが、その通り翌二一日には眼科医により右眼の視力が喪失したことが確認されていること。
(三) 手術の翌々日における眼科医の診察の結果、(イ)右眼眼瞼腫脹および著明な結膜出下血、(ロ)右眼眼球運動中下転および外転の障害、(ハ)、右眼網膜中心動脈がわずかに狭細していること、(二)視束乳頭がやや蒼白となつていること。(ホ)眼球の突出がないこと、以上の症状が認められた。
而してこれらの所見と前顕証拠(但し堀口信夫証人の証言を除く)及び口頭弁論の全趣旨を総合して、失明の原因を探ぐること、眼球の突出のなかつたことから、手術時の出血の圧迫による失明とは認め難く、本件手術の侵襲が篩骨洞後部まで及んでいなかつたことと結膜下出血、眼瞼腫脹の眼科所見から、球後部(眼球の直後から視束管入口迄)に起きた障碍がその原因と判断され、更に眼球の外転及下転障害があつて内転障害のなかつたことや視束乳頭がやや蒼白になつていること等から、その障碍は下内側から物理的な力が加えられたことに因るものと推断され、結局術者である堀口医師の使用した手術器具が、直接視束に物理的な外力を加えたものであるか否かはともかくとして、同人の用いた手術器具が篩骨洞から紙状板を越えて眼窩内に侵入し手術器具操作による物理的な外力が原告の右眼視束のうち、眼球後部から視束管入口迄の視束に加えられて、これに衝撃を与え、これによつて原告の右眼視力の喪失の結果を招いたものと推認することができる。
証人堀口信夫は、本件手術においては、篩骨洞の入口を開くことに重点を置き、篩骨洞内の比較的奥の方まで、手術器具を挿入した事実はないし、仮りに紙状板を損傷したとすれば、眼窩内にある脂肪組織が飛び出て来るものであり、その際患者に、激しい痛みの反応が現われるものであるが、このような事実はなかつたから、手術器具の操作により視束に物理的な外力を加えたことは考えられず、原告の失明の原因としては、手術時の出血が、眼窩内に流血して、視束に影響を及ぼしたものか、あるいは、手術の操作が患部に急性炎症を合発させ、これが眼窩内に波及して視力の喪失を招いたものか、もしくは、視束を覆う骨が篩骨洞に隆起している異常(視束管隆起の異常)等の予期しえない異常事態によるものとしか考えられない旨供述するけれども、前記認定の眼科所見に照らし、失明の原因を、手術時の出血または急性炎症の波及に求めることは困難であり、(証拠省略)によれば、視束管は、眼窩の最も奥に位置するものであつて、それが篩骨洞に隆起する異常があつても、それが洞内の前部(本件手術が施行された部位であつて眼球に近い。)に位置するものとは考えられず、むしろ、その異常があつたとしても、それは洞内の後部(眼窩の最奥部に近い。)に位置する方が自然であると考えられること、本件手術前に二回にわたり後部篩骨洞に対して手術が施行せられており、その際視力障害が発生していない(事実この事実は既に認定したものである。)を考えあわせると、同証人が供述するように視束管隆起の異常により、失明の結果が発生したものと推認することは困難であり、他に予期しえない異常事態が存在したことを推測させるような証拠はない。又(証拠省略)によれば、本件手術は全身麻酔の下に行われたから、手術中の患者の反応を期待することができないものと謂うべきであり、さらに後記認定のとおり、本件手術時における出血のため、手術部位に対する視野の確保が困難であつたこと、に照すと、「紙状板の損傷がなかつた」という同証人の供述を直ちに措信することはできないのであつて、結局、同証人の右供述をもつてしては、前記推認した事実を覆すに足るものとはいえず、また、右供述の他に、前記推認した事実を動かすに足る証拠はない。
三、(本件手術における過失の存否)
原告の右側篩骨洞の比較的後部に対しては、本件手術前に二回にわたり病変部分の掻は手術が施行せられたことは、前認定の通りであるがこの事実に証人堀口信夫同戸塚元吉の各証言を併せ考えると、右の手術による瘢痕組織のため、前部篩骨洞に対する本件手術の施行は、過去になんらの手術が施されていない場合に比較し、より困難であり、また手術による合併症の発来の危険性もある程度高まつた事実を認めることができる。そして、証人堀口信夫の証言によれば、本件手術においては、中鼻道粘膜の切除により多量の出血があり、血液を吸い取つて手術部位に対する視野を確保しても、手術を続行すると出血によつて手術部位を明視することができない状態となり、従つて篩骨洞前部の蜂組織を掻はする際、過つて紙状板を損傷し更に眼窩内にまで障害を及ぼす危険度が増大し、このため手術の施行が困難であつた事実を認めることができる。
ところで、被告は、『過去の手術の影響による瘢痕組織のため手術が困難となつた特殊事情のため、堀口医師が最善の注意義務を尽したにもかかわらず、手術器具の操作により紙状板を通して視束に一過性の衝撃を加えるのやむなきに至つたものであり、右特殊事情に加えてたまたま原告の視束が通常人の場合よりも虚弱であつたことから、原告の右眼視力の喪失という事態が生ずるに至つたもので、堀口医師には、過失がない』旨陳述する。しかしながら、原告の視束が通常人のそれと比較して虚弱であつた事実を推測させる証拠は、本件において発見することができないのみならず、証人戸塚元吉の証言によれば、本件手術と同一の術式による鼻内手術の施行によつて、眼窩内の損傷を起し、失明の結果を来たす場合があることは、すでに本件以前から、医学界及び臨床医家の間に知られていた事実を認めることができ、従つて過去二回にわたる手術を施行して本件手術に臨んだ堀口医師としては、本件手術において失明等の合併症の発来する危険性が増加することが予想されたはずであるから、失明の結果を招かないため、細心の注意を払つて本件手術を施行する義務のあることは勿論、多量の出血により手術視野の確保が困難な場合は安全のうちに手術を中止すべきものといわなければならない。しかして、すでに認定したとおり、本件手術においては、出血が多量であることから、術者である堀口医師において手術の施行に危険を感じ、困難を覚える状態に立ち至つていたにもかかわらず、手術の施行を直ちに中止せず続行し、その結果手術器具が紙状板を越えて眼窩内に侵入し、器具操作による物理的な外力が原告の右眼視束に対して衝撃を加える事態を惹起し、これによつて、原告の右眼視力の喪失の結果を招いた以上、堀口医師の本件手術の施行には、原告の右眼失明の結果を招いたことにつき過失があるものといわざるを得ない。
なお、原告の主張する視力回復措置懈怠の過失については、証人涌井嘉一の証言により、手術直後に原告の視力障害の事実を発見したとしても、これを救済することが期待できなかつた事実が認められるから、右の過失を認めることはできない。
四、(失明による原告の精神的損害)
弁論の趣旨、証人米内美稲の証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和一七年五月四日生れの未婚の女性であるが、高校卒業後タイピストとして商事会社に勤務中、本件手術により右眼を失明したため退職し、後に一時的に仕事に就いたがその就職先が解散したので、他の会社の就職試験を受けたが失明がわざわいして合格することができず、やむなく母校の縁故により現在和光大学の事務の仕事にたずさわつているが、その間、職場において、互いに好意をもつに至つた男性からは、右の失明を契機として疎遠となり、また、原告の失明にもかかわらず原告に好意を持ち、当人らの間では結婚の約束さえもとりかわした男性との縁談も、原告の失明を理由として反対する周囲の者の意見に抗しえず、破棄されるに至つたものであり、片眼失明のため距離感がなく、道路の通行、階段の登り降りに危険を覚え、その他の日常の家事労働にもこと欠く状態であることを認めることができ、将来の結婚の成否、日常生活における苦痛に思いをめぐらせれば、本件の失明により、若き女性である原告にとつては多大の精神的苦悩が課せられたものであるといわざるを得ないところ、右に認定した事実のほか諸般の事情を考慮すれば、原告が受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては、金二〇〇万円が相当である。
五、(被告の責任)
本件手術を施行した堀口医師が、被告国の公務員であつたこと、および本件手術はその職務の執行としてなされたものであることについては当事者間に争いがない。してみると、被告は原告に対し、前項の損害に対する賠償として金二〇〇万円の慰藉料ならびにこれに対する本件手術施行の日すなわち損害発生の日の翌日であることが争いのない昭和三七年九月二〇日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合により遅延損害金を支払うべき義務がある。
六、(結論)
よつて原告の被告に対する本訴請求は、右の金額の限度内で理由があるからこれを認容すべきであるが、その余の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項、被告により申立のある仮執行免脱の宣言については、同法第一九六条第三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 室伏壮一郎 篠原幾馬 浅生重機)